万葉集といわれたら…(小椋由佳里)
こんにちは。
エイトビルシスターズの小椋由佳里です。
新元号が発表されましたね。
「令和」、出典は『万葉集』とのことですが…。
何を隠そうこのおぐら、
一応まぁ国語教師。
しかも大学の卒業論文では『万葉集』を扱っておりました。
こりゃぁ黙っちゃいられねぇな。
ということで、少しだけおしゃべりを…。
といっても別に研究者ではないので、簡単なことだけですけど💦
新元号の典拠となった序文の解説は、ニュースなどでみなさん嫌というほど聞いているでしょうから、その序文を書いた(といわれている)人についてピックアップしたいと思います。
それはこの人。
山上憶良(やまのうえのおくら)。
奈良時代の歌人で、奈良の都から、筑紫(今の福岡県=エイトメンバーTHE・子の故郷ですね)に赴任してきました。
憶良は、「貧窮問答歌」で有名ですから、ご存知の方も多いかと思います。
国語や道徳の教科書にも出てきますね。
そう、私は「おぐら」。
彼は「おくら」。
小6国語の教科書で出て来た時、クラスの男子から、「やー!おくらやってー!」とはやし立てられたもんです。
(理科の教科書で出てきたオクラも同様)
でもそう言われることが私はあんまり嫌ではありませんでした。
だって山上憶良はいい人そうだったから。
そう、その時教科書で紹介されていた歌がこれだったんですよ。
銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も
何せむに
優(まさ)れる宝 子にしかめやも
有名ですよね。
「銀も金も宝石も、何てこたぁない。
すべてにまさる宝は子どもである」と…
素敵!✨
子を持つ親御さんは、この気持ち、よくわかるのではないでしょうか?
(どうですか、nobu先輩!)
この歌によって、憶良には「子煩悩パパ」のイメージが定着します。
また、宴席から退出するときのこの歌も、たいへん有名です。
憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ
それその母も 吾を待つらむそ
「私、憶良めはここらでちょっと退出いたしまする~。家に置いてきた子どもが泣いているでしょうし、その子らの母親、つまり愛する妻も、私を待っているでしょうからぁ~。てへ💓」
この時、憶良は60代後半くらいのおじいちゃん。
子どもそんな小さくないやろ。
奥さんとそんなラブラブでもないやろ。
だからまぁ、半分冗談みたいな歌です。
宴会を中座するのは気まずいものですが、こんな感じで言われたら、なんだか許しちゃいますよね。
「わかったわかった、ええよ、もう帰りー」みたいな。
そう、憶良はどこか可愛いらしい人なのです。
そしてきっと、優しい人。
こんなエピソードもあります。
憶良の友人に大伴旅人(おおとものたびと)という人がいました。
ちなみに、「令和」の序文の梅花の宴が開かれたのはこの大伴旅人の邸宅。
旅人の奥さんが亡くなった時、憶良は彼の気持ちを思いやって、挽歌(亡くなった人を悼む和歌)を詠んでいます。
その中で私が好きなのはこれ。
妹(いも)が見し 楝(あふち)の花は
散りぬべし
我が泣く涙 いま干(ひ)なくに
「愛しい人とともに見た楝の花は、もう散ってしまう…。私の涙は、まだ乾いていないのに…。」
↑楝の花(センダン)
悲しいときって、自分のまわりだけ時間がとまったような気がしますよね。
自分は悲しみの底に立ったまま。
でも、世は、時間は無情にも過ぎ去っていく。愛しい妻とともに見た花は、もう散ってしまう…。
そう、時間は悲しむ人を待ってくれません。
でも逆に、時間が経つことで気持ちが救われていくこともありますね。
花と、時と、人の涙。
それらが美しく詠みこまれていて、
しみじみとした和歌となっています。
旅人は筑紫赴任の際に、もう都には帰れないかもしれないと思いました。だからそう若くはない妻を連れてきたのです。
そして、故郷ではない、遠い辺境の地で妻を亡くした。
旅人のその悲しみに、友人である憶良は和歌を詠む、という形で、そっと寄り添ったのでしょう。
憶良の優しさが感じられる、素敵な歌だな、と思うのです。
「令和」という時代が、
人の心に寄り添える、そんな優しさで
満ちた、平和な時代になりますように。
こんな感じのことを、個人的に運営しているブログ「おぐら草紙」でも載せていこうと思います。今は「いだてん」の感想しか載せられていませんが…
そちらもよければ覗きに来てください💓(←ちゃっかり宣伝)
#新元号 #令和 #万葉集 #山上憶良 #大伴旅人 #おぐら草紙
小椋由佳里 The.子 出演
J-DANCE FESTIVAL 37th
ストラヴィンスキー「春の祭典」
生きものの地
兵庫県立芸術文化センター
阪急中ホール
2019年5月18日(土)
開場 18:00
開演 18:30
前売り 当日 3500円
詳細は個人出演情報にて
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